Chico:日本の皆さんこんばんは。ロサンゼルスよりベルティングボイストレーナーのChicoです。私はベルティングという発声を専門にアーティストの声と心ケアしております。今日もライブ配信をナビゲートしてくれるのが、株式会社 未来予報 代表の宮川麻衣子氏です。
Maiko:皆さんこんばんは。いつもありがとうございます。麻衣子です。私はワンボイスマスターコース1期生です。皆さんよろしくお願いします。
C:よろしくお願いします。
M:先生今日は発声の日でございます。
C:そうだね昨日まで2日間マインドの日が続いてさ、久しぶりだな発声の事話すのって思ったんだけど、今日話すことも発声の事なんだけど、ちょっとマインド面とかぶってくるというか、みんなにものすごい大事な話をしようと思う。
M:ぜひ今日も聞き逃さがさないでください。
C:私の人生を変えてくれた出来事について。何から話そうか。
M:そうですね、先生の私が聞いてる中で面白いなと思ったのが、先生の歴史というか、なぜリベルティングまで至ったのかっていうのは、なんかちょっと皆さんに聞いてもらったら、すごく皆さん重なるところがあったりとか、そういうとこがあるんじゃないかなと思ったので、ぜひ。
C:じゃあ、あんまり話してないことを話そうかな。私これね、誰にも話してないと思うんだ。みんな知らないと思うの。今まで私の幼少期とかそういうことって話してこなかったよね。
Chicoの生い立ちと音楽と幼少期
私ね物心ついたときからずっと音楽をやってて、3才の時ぐらいかな。3姉妹の末っ子なんだけど、上のお姉ちゃん2人がいつも日曜日に、ピアノを習ってたの。ピアノの先生が家に来て、30分ずつレッスンするんだけど、私は3才だからそれを見てるだけだったの。どうしてもそれをやりたくって。お姉ちゃんのレッスンが終わったら、それを耳コピして、すぐにピアノの前に座って、練習してそれを弾くっていうことをずっと何年もやってたわけ。
M:なるほど。
C:やっぱ三女ってなると結構ネグレクトなわけよ。
M:(笑)。
C:両親は自営の仕事で休みなく忙しいし。もう相手にされなくて。ピアノを習いたい!っていっているのに、ずっと習わせてもらえなくって、普通の子たちだったら保育園の終わりぐらいで習いに行くのかな。小学校入る前に習いに行ったりするじゃん。
M:しますね。ヤマハ教室だったり、はい。
C:私それさせてもらえなくって。どうしてもってお願いして、小学校2年生の5月にやっと習えたのよ。その時にはもう、バイエルの上下巻、両方とも耳コピで全部弾けるから、パパーっととばしてブルグミュラーをやった。というそんな幼少期です。
M:なるほど。音楽とはやっぱり切っても切り離せない感じだったんですね。
英語の環境とアメリカへの憧れ
あとね、父親が若い時にアメリカに留学していたこともあって、徳島のド田舎の山の中にある家なのに、小さい時から外国人がたくさん遊びに来てたんだよね。だから英語も幼少期から慣れ親しんでいたのと、当時から童謡は全部英語で歌ってたね。
メリーさんの羊、ロンドン橋、ジングルベル。シワシワな茶番紙に父親がカタカナで書いてくれた歌詞を、陽が当たる南の縁側でよく練習してたのを覚えてる。その頃から、アメリカへの憧れがあって特に英語の響きのカッコよさに魅了されてた。
心を閉ざした過去
C:話を戻してね、そう、昔からピアノをやってて、音楽をやってて、あと家庭環境があまり良くなくて、さっきもネグレクトという言葉がいっぱい出てきたけど、母親も後に苦労話をするほど繊細でちょっと変わってるというか理解されない子供だったから、小学校2年生ぐらいのときにはもう両親に心を閉ざしてたかな。それぐらいから私は家族と話っていう話を一切していない。
ダーク(笑)。
M:(笑)。
C:話をしないっていうのが23、24歳まで続いたかな。笑いもしないし、泣きもしないし、家族に対しては感情を一切シャットアウトして、基本YesかNoかそれぐらいしか応答しない。
M:えー!
演奏、作曲、音楽を通して気持ちの表現を追求する
C:そういう生い立ちなわけね私。そこで、生活で理解してもらえない辛さっていうか、自分の感情や想いを、音楽の中に旋律の中に、メロディーラインの中で編み込むっていうことにすごい集中してずっと。
M:はい。
C:聞いてくれないからさ、私の思いとか、意見とか。だからピアノ弾いたり、その後ずっと6、7年、フルートをしてたのね。吹奏楽の大会なんかでフルートのソロをもらったりするんだけど、そういうのも常に私はどうやって自分の感情や世界観をこのメロディラインの中で表現するかっていうことに命をかけた。中学の頃の楽譜を見たら、楽譜の上にビッシリ、演奏している時にイメージする映像やストリーが書き込まれてる。(笑)
M:へー!そうだったんですね。
C:またそれとは別に、作曲も小さいときからしてて、小学校の夏休みの課題で作曲コンクールへの宿題提出っていうのがあるの知ってる?あった?麻衣子氏そんなの。
M:え?うちはなかったかもしれないです。
C:私のところはあって、適当にペペって曲書いて出したら入選とかさ。毎年賞をもらって、県民ホールで表彰されてたりとか。なんかそういう子供だったんだよね。そのときの初めて作曲した曲のタイトルも「私の気持ち」だからね。
ダーク(笑)。
M:(笑)。なるほど。そのころから音楽を通して表現をしてたって事ですね。
C:そう、表現に関しては人生をかけてずっとやってることだから。物心ついた時から、ピアノ、歌、ブラスバンド、フルート、って音楽をずっとやってて、中学卒業の頃になんかつまんないなと思って、美容師の道を目指したの。その頃美容師が流行っていたじゃん、カリスマ美容師とかさ。フルートで音大に行こうかな?高校からの推薦があってそこから音大に行くかな?みたいな将来にも迷ってたけど、結局は美容師になろうと思って海外に行こうと思って。
M:はい。
15歳で実家を出て高校といじめと歌の道へ
C:高校への進路を決める時、徳島の小さな田舎町にもうんざりだったし、家も出たかったし、そこで海外に行けるようなプログラムがある寮生の千葉の高校に通うことを決めたんだよね。でも高校に進学したらしたでそこからいじめが起こり、昨日もマインド編で話したんだけど、高校2年からいじめにあって。でもそこでいじめがを起こってくれたことによって、私はまた音楽に帰ってくるんだよね。そこから歌手になろうっていうふうに、歌の道が始まったって感じ。
M:そうだったんですね、じゃあ上京と共に歌が始まった感じですね。
C:そうでうす。千葉の高校を卒業して、東京に引っ越して一瞬だけ専門学校へ通った後は、ずっと音楽活動してプロデューサーについてもらって、プリプロっていう毎日を繰り返すわけ。曲作ってアレンジしてレコーディングして、デモテープを作ってライブして、そんな日々を6、7年。
パニックと声帯結節で歌手の道を諦める
それで、これはみんな有名な話だから知ってると思うけど、ある時プレッシャーからパニック障害というのを発症して、もう好きな歌が怖くて歌えない。ステージに立つのがパフォーマンスするのが怖くてたまらないっていう状態になって、そこで夢の挫折をするんだよね。
それと同じ頃に声帯結節になって、お医者さんから「あなたもう一生その声ですよ」って言われて。
M:そのときはもう声がかすれてしまったんです?
C:かすれるとかそういう問題じゃないよ。オネエ様みたいな声になった。ガラガラで低くって。多分慢性の結節とかだったらちょっとかすれるぐらいで、もう固まってる状態だからさ。慢性的にも慣れてる状態だからカスカスするぐらいだけど、最初の頃っていうのは、もうおもいっきり枯れて、声が出ない。そうなったときにお医者さんから、あなた一生その声ですよ、もう治りませんよって言われて。
M:ショック。
C:これ結構ね、あるあるなんだけど声帯結節になったら、みんなそうやって言われるみたいで。
M:ショック。
C:でも本当は治るんだけどね。
M:まめみたいなペンだこみたいになるってことですよね、1回慢性なっちゃったら。
C:声帯の両端に左右対称にニキビみたいな、吹き出物みたいな感じのプツって出来るの。私はそんな感じだった。
M:なるほど。そういう事か。
C:そう。もうお先真っ暗で、うわーんって泣きながらマンションまでトボトボ歩いて帰って。それでそこから人生を考え直してさ。もうパニックもあるし、声帯結節で一生この声って言われたから、人生どうしようかなって。歌人生が終わったんだって。じゃあ私が人生で2番目にやりたかったこと、音楽をずっと追いかけてたからできなかったこと。アメリカに留学するってことをやろうと決めて、それで渡米するの。
M:それって何年ですか?
C:2009年の9月。27歳のとき。
アメリカへ単身渡米
M:2009年の9月ということは。
C:11年前。それでね、渡米してすぐはやっぱり語学学校に行ったりとか、英語の勉強に熱を入れて、新しい環境だし、なんとか楽しく過ごせてたんだけど、やっぱり1年経ってくると、自分の人生に音楽がない暮らしっていうの、そういうのに挫折感っていうのを感じ始めるじゃん。絶望感みたいな。私の人生一体何なんだろうなって。もう死んじゃおうかなっていうところまでいくわけじゃん、詰まったって。そのときに昨日も話したけど、じゃあ死ぬんだったら、今死んでみようと思って。生きたまま死んでみようと思って、自分の自我を捨てて、人に完全に尽くそうっていうことをやってみようと思って。それで、ジョンの不眠とかそういう問題をケアする為に、ヒーリングっていうのを始めたんだよね。
M:月曜日の話に繋がるわけですね。
C:それでヒーリングとかスピリチュアルの世界に入っていって、2013年かな。
M:はい。
C:2013年、スピリチュアルの探求をしているChicoはですね、ある日セドナに行くわけですよ。パワースポットに行って、すごい楽しい最高!って言って、なんかもう1回人生頑張ろうと思って帰ってきて、そしたらそこでパッと連絡が来て、「Chico、ハリウッドでレコーディングするぞ」と。
M:また音楽がここで出てくるんですね。
C:そうなのよ。ちょっとここで1つ、私の好きな言葉を紹介したいんだけどさ。
M:はい。
Chicoの人生を変えてくれた言葉
C:私も20代の時人生迷ったときに、音楽を諦めることがものすごい怖かったの。このご縁やプロジェクトを手放したらもう後が無いんじゃないか?って。夢を手放すとか夢を諦めるっていうことがなかなかできなくて。怖くてストレスで悩んで悩んでどん底だったんだけど、その時出会った言葉っていうのが、
「辞めたいなら諦めればいい。1回辞めてみればいいよ」って。「もしあなたに本当にその才能があるんだったら、人生があなたをもう一度その道に引き戻してくるから」っていう言葉があって、だから声帯結節とかパニックとかで悩んでたときは、その言葉にかけてみようかなっていう気持ちもちょっとあったんだよね。
M:1回捨ててしまって。
C:そう。本当に私の音楽の才能が社会にとって必要なんだったら、求められるときが来るんだろうなっていう。
M:はい。
C:そうなのよ。そこでまたハリウッドのオファーが来て悩むわけよ。またやるの?って。
M:怖い経験になってますもんね、その時には、ステージで歌うのが。
C:パニックって恐怖だからさ。発作も怖いけど、何が一番の恐怖かって、これでやるって言って結局、ステージに立つときに私が怖いってなってできないってなって、スタッフ全員に迷惑をかけたらどうしようとか。
M:プレッシャーだ。
C:そういうことも考えるわけ。でもでもやってみようと思って。
M:はい。
ハリウッドでのレコーディングと人生最大の挫折
C:それでやるって決めて、ハリウッドでのレコーディングが始まるんですけれども。それが私の人生の大きな転機だったんだよね。
M:なるほど。ここでどんなことが起きたんですか、先生。
C:そのパニックとか声帯結節とか、声を失うことや精神面を崩すことが、私の人生にとって1番大きな挫折だと思ってたんだけど、実はそうじゃなかったんだよ。
M:その先がありますから。
C:この先もっと大きな挫折があって。
M:はい。
次の記事に続く→
挑戦をためらう人に伝えたい、世界に挑戦して大挫折した歌手が手に入れた本当の豊さ・Chicoストーリー2
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